2009年01月05日
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水路の暗渠化は東京オリンピックのためか? それとも偶然時期が近いだけか?

Written By: 川俣 晶連絡先

 『白根記念渋谷区郷土博物館・文学館 特別展「『春の小川』の流れた街・渋谷 -川が映し出す地域史-」』の図録に収録された図版に、「下水道東京100年史」(東京都下水道局)という本からの転載がありました。

 この本に興味を持ったので調べてみると、杉並区永福図書館に閉架で所蔵していることが判明。見に行こうと思った時には既に図書館が年末年始の休業に突入していました。今日は仕事が短い時間で片付いたので、ストレス解消に見てきました。

疑問 §

 下高井戸の水路網は昭和30年代から40年代に掛けて大幅に変貌しています。つまり、東京オリンピックの前後です。

 そして、下高井戸を通過する甲州街道は、東京オリンピックのマラソンと競歩のコースとなっていて、オリンピックの競技会場に準じる場所になります。

 更に、淀橋浄水場が廃止になり、玉川上水が不要となった時点で埋め立てられた現役上水区間は、浅間橋→和泉給水所間にあたりますが、これは甲州街道(オリンピック競技に使われる区間)に近い部分のみを埋めたと解釈しても辻褄が合います。

 ということは、オリンピックに対応するために暗渠化を進めたという解釈も可能です。はたして、この解釈は正しいのでしょうか?

下水道東京100年史を軽く読んでみると…… §

 河川と下水の扱いや区分の明確化や、桃園川や北沢川の暗渠化の決定は、昭和30年代に行われていることが分かりました。(それ以前は、河川と下水の差は明確ではなかった。汚水が流れる河川も多かった)

 また、この時期に下水の関する計画や答申も行われていて、それが下水道整備や暗渠化の具体的な形を示すものとなっていました。

 これらは、あくまで下水道整備という歴史的文脈で行われた計画であり、整備であるようです。

 しかし、東京オリンピックを契機として計画の見直し、前倒しが行われ、渋谷区では重点的にオリンピック対応の暗渠化工事が進められたのも事実であるようです。

曖昧な結論 §

 これらの記述を前提とする限り、「下高井戸周辺の水路の暗渠化がオリンピックのために行われた」という状況はないように思えます。渋谷区方面は明確にオリンピックを推進力にして工事が行われていますが、下高井戸方面はそうではないようです。

 しかし、全体としての計画がオリンピックを契機に見直されているのも事実であり、計画そのものにオリンピックの影響が無いとも言い切れません。また、渋谷区内の工事も、オリンピックによって前倒しされただけと考えれば、オリンピックだけが暗渠化の推進力とは言えません。

 ということは結論は曖昧にならざるを得ません。

 オリンピックが無くとも暗渠化はされたであろうが、オリンピックの影響が無いとも言えない……といったあたりの結論に落ち着かざるを得ません。

残された疑問 §

 短い時間でざっと見ただけなので、見落としがあるかも知れませんが。

 たとえば、北沢川が暗渠化され、下水道北沢川幹線になったことは分かりました。

 しかし、暗渠化されない神田川の脇を流れる支流が下水道神田川幹線になった経緯は良く分かりませんでした。

 下水道東京100年史で重点的に扱われているのは隅田川方面であり、神田川方面の記述はあまり多くない感じでした。

感想 §

 やはり「暗渠」絡みの情報は、上水方面より下水方面の資料から得られるようです。

 しかし、いかなる意味でも下水にはなっていない玉川上水や、河川のまま下水にはならなかった神田川の情報を得るには向かないことも事実です。

 ちなみに、北沢川の名前は出てきても、玉川上水下高井戸分水の名前は見つけられませんでした。

 難しいですね。

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